『NARUTO -ナルト-』の中でも屈指の人気キャラクター、うちはイタチ。
冷酷でミステリアスな印象の裏には、実は深い愛情と優しさが隠されていました。
今回は、うちはイタチの心温まる“優しすぎる”エピソードを厳選してご紹介します。
彼の真の想いに触れ、改めてその魅力を振り返ってみましょう!
Contents
うちはイタチの優しすぎるエピソード
里とサスケのために1人で汚名を背負う
うちはイタチは、サスケ以外の「うちは一族を皆殺しにする」という大事件を起こします。
一見大悪行にも思えますが、この事件はイタチが「里とサスケを救うため」に行った事件なのです。
この事件が起きる前、うちは一族はリーダーであるうちはフガク(イタチの父)を筆頭に、木ノ葉隠れの里の政権を転覆し、自らが主導権を握ることを計画していました。
そこで暗部であるイタチは、この計画を前に察知していた木ノ葉上層部(ダンゾウや三代目火影ら)からスパイとして送り込まれることとなります。
そこでイタチは、「一族の皆殺し」か「そのまま内戦が起きて里が戦火に燃える」かの選択を迫られることとなるのです。
最終的にイタチはうちは一族の皆殺しを選択し、里を救うことを決めました。その際、弟であるサスケにだけは生きてほしいという願いで、殺さなかったのです。
どちらを選んでも地獄のような選択には変わりありませんが、里を守るため、弟を守るために自分1人ですべてを背負って里抜けをするという選択をするのは、少しでも被害を減らしたいという優しさの表れと言えるでしょう。
里抜けした後もサスケを強くするために悪役を演じ続ける
うちはイタチは、一族皆殺しの際にサスケに対して「自分を憎み、強くなることで自分を倒せ」と伝え、真相を隠して仇討ち心を抱かせました。
これは、今後サスケが強く生き抜くための過酷な愛情表現だったのです。
物語中イタチとサスケは幾度か戦闘を重ねた後、最終的にはサスケに
- 復讐心と強さへの渇望
- 万華鏡写輪眼の覚醒
- 永遠の万華鏡写輪眼(自身の目を移植することによって)
- サスケの体内に潜んでいたオロチマルの封印
などを自分を犠牲にしてまで与えたのでした。
自分をすべて犠牲にしてまで弟であるサスケを守る姿はあまりにも優しすぎる兄といえるでしょう。
暁に入り木の葉の里にとって危険な組織を見張っていた
トビによって明かされたイタチの真実では、イタチは「暁に入り込み里にとって危険な組織を内側から見張っていた」ということが明かされています。
さらに、三代目火影が死んだ後に里を訪れたのも、ダンゾウを含む里の上層部に「オレ(イタチ)は生きている」という忠告するためだったのです。
里抜けを余儀なくされても、いつも木の葉の里のみんなのことを思っており、害を成すであろう「里の上層部」の連中に対してもけん制しておくという完璧なムーブをかましているのです。
自分がいない間にも里を最大限に守ろうとする優しすぎるイタチのエピソードですよね。
復活後もサスケを守るために尽力する
第4次忍界対戦中、イタチはカブトの穢土転生によって復活します。
そこでもイタチはサスケを守るために、自身ができることを最大限に全うするのです。
具体的には、
・サスケを戦いに巻き込まないよう守る
┗イタチは自分がカブトを止めるために戦うと決め、サスケには「ついてくるな」と伝えます。これは、サスケを戦いから遠ざけ、危険から守ろうとする兄としての優しさでしょう。
・サスケとの共闘(カブト戦)
┗サスケの意思を尊重し、兄弟として共闘する。
・穢土転生の解除と最期の言葉
┗カブトを倒し、イタチは穢土転生を自らの手で解除します。消えゆく間際、サスケに「お前はオレを許さなくていい。これからどうなろうと、お前をずっと愛している。」という言葉を投げかける。
など、兄として最後まで優しすぎるイタチさんなのです。
イタチの穢土転生後の動きは、「真実を伝えること」「弟を守ること」「愛情を示すこと」に集約されています。
特に「ずっと愛している」という言葉は、サスケの心を救い、復讐から解放する重要なメッセージとなりました。
まとめ
うちはイタチの優しさは、物語を通して深く描かれており、彼のすべての行動が「愛」と「犠牲」の上に成り立っていることがわかります。弟サスケを守るために一族を滅ぼすという悲劇的な選択をしながらも、自身が悪役となることでサスケを強く育てようとした姿は、多くのファンの心を打ちました。最後まで真実を隠し続けたのも、サスケが自分の意志で前に進めるようにと願ってのことです。
イタチの優しさは単なる兄弟愛を超えた、深い自己犠牲の象徴でした。彼の行動はサスケだけでなく、木ノ葉隠れの里や平和を思ってのものでもあり、その生き様は「本当の強さ」と「愛」の形を教えてくれる感動的なものです。
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